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環境学園専門学校 理事長 重里國麿さん

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2015年08月17日

ブログ 生き方 × 活き方 インタビュー

 

「昭和43年 イギリスで公害のことを知った時、日本のことを考えた!! 」

 

学校法人 重里学園 環境学園専門学校 理事長 重里國麿(ジュリ クニマロ)さんがゲストです。

 

取材日 2015年8月14日 アンシー’sストレッチヨガスタジオにて

 

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「日本初の登録資格 環境管理士資格制度の創立(1970年~)」

 

「日本にひとつの専門学校 日本分析化学専門学校の創立(1982年~)」

 

「環境学園専門学校の創設(1995年~)」

 

すべて 重里理事長(以下重里先生)が創始者です。

 

私は 日本分析化学専門学校 生化学分析学科(当時の学科名)の卒業生なんです。

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好きだった生化学を勉強できる学校を偶然見つけて

当時は会社員だったのですが、夜間部もあって2年間勉強しました

いろんなことにチャレンジしてた修行時代とよんでいる

20代のころ、結構成績も良かったですよ~

 

 

アンシー:この専門学校を創ろうと思った動機をお聞かせください。

 

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重里先生:僕はこの学校を建てるまでは、全国の商工会議所で4、5年間

北海道から沖縄まで経営セミナーの講演で環境について話していました。

 

昭和43年(1968年)仕事をかねて資料調査でイギリスに行ったとき

ケンブリッジ大学で New Clearance  という言葉を初めて聞き、

辞書にも出ていなかったので、調べたら「公害」と分かりました。

当時町の人々が、テームズ川に魚が戻ってきたとか、

空がきれいになったとか話していて、はじめは何のことかわからなかった。

霧のロンドンとかいうけれど、亜硫酸ガス、二酸化炭素とかで石炭を焚いていたんですね。

それで日本もそうなったらあかん。それがきっかけとなって自分でも勉強したいと思いました。

昭和46年には公害対策基本法という初めての法律ができて、こらから日本は環境の学校がいると思った。

その時は自分の生活だけできたら良い、家族さえ困らなかったら良いと思っていましたが

環境でご飯を食べて行きたいと思いました。

 

アンシー:専門家を目指すと、極めていくことが好きなはずですが

なぜ、学校経営の方にまわられたのですか?

重里先生:環境分野のことは8冊本を出して、検定制度もつくったし

環境の学校をつくるということをしたかった

そこで、当時相談した初代校長の品川先生が環境のことをしたかったら

分析のことをやりなさいということで、切り替わりました。

夜の学科 環境分析学科で教えていました。

環境という分野で分析化学をみるようになって

面白くなったけど、技を究めるということは専門家がやる

僕は専門家を養成する経営の方をやらなくてはいけないと思いました。

 

アンシー:環境管理士検定試験と教科書は 重里先生がつくたんですよね。

 

重里先生:環境省登録の資格です。全国でやっています。

各学校でも取り上げられています。

大阪産業大学、長岡業大学、広島修道大学 静岡産業大学等 授業の単位になっています。

 

 

 

重里先生:また、化学の原点を調べだしました。

 

たまたま、分析化学専門学校のある天満に

舎密局(シェイミキョク)1869年の当時の化学学校がありました。

シェイミ オランダ語ですが、英語ではケミストリーです。

日本で初めて、この言葉を使ったのが宇田川榕菴(ヨウアン)岡山県津山市の医師です。

この時の校長先生が緒方洪庵の次男の緒方惟準(コレヨシ)です。

その教頭先生でハラタマというオランダ人がいます。

その方が初めて分析化学を日本に普及したのです。

 

アンシー:そんな歴史のある場所で 日本分析化学専門学校が誕生しますね

 

重里先生:創立36年です。

創業当時は 生徒を140人集める計画が20人くらい

毎年1億円の赤字が出る。銀行からの融資に苦労しました。

 

アンシー:なぜ、その苦労を乗り越えようと思ったのですか? 責任感ですか?

 

重里先生:一番苦しいときに、協力者 給料もらう立場の人や顧問税理士が

自分のお金を使ってくださいって、持ってきたんです。

これは何としても、やらないといけないと思いました。

 

一日24時間を48時間にならないかを考えました。

学校が終わったら夜は10時から朝6時まで、工員に行きました。

眠たくて、しかたなかったです。

睡眠時間2時間で、昼間ミスばっかりしていました

土日は学校の掃除に家内と一緒にいきました。

トイレ掃除なんか汚物を手でどけたこともあるよ

 

軌道にのるのに10年かかりました。

 

 

アンシー:その後の日本の不景気には関係しなかったのですか?

 

重里先生:私は最初から予想していましたよ

学生数18歳人口が減ってくるとい危惧は、いわれていましたが

分析化学を選択する技術を身に着けるというのは人口の多い、少ないに関係ない

どうしてもそれだけの専門家を養成しないと産業界が成り立たない

専門学校は約3000校 今は約2800校くらいかな?

少し減っていますが、36年たっても ただ一つしかない

 

アンシー:どうしてですか?

 

重里先生:黒板と机だけではできない学校です。

美容業、理容業、調理業は

一般的にどんな校具、教具、教材を集めたら良いかおわかりです。

だけど化学の教育をするのに、どれだけのものを集めて

教育に入っていったらよいのかわからない。

それを創立の先生、たまたま自分の恩師も化学の先生です。

そういう人たちが集まって、どれだけのものが必要か考えた。それがスタートです。

 

アンシー:専門家の集まりですから、だれでもできないことになりますね

 

重里先生:アシックスの創業者 鬼塚さん お亡くなりになっていますが 知り合いでした。

神戸で運動靴からスタートされたんですけど、どのようにして売りだしたかお話しをしていたときに

当時は通学用の一般的な運動靴から、スポーツに特化した靴にしようと気がつかれた

競技用の靴をつくろうとしたんですね。

例えば高橋尚ちゃんの靴をサンプルで作ってもらって、そしてオリンピックで優勝したんですね。

それの素地をつくる靴を特化して、アシックスができたんですね。

 

二人で意気投合してしまって

化学でもなぜ、なぜ分析化学をやったのか

これを 称して すきま産業 と言います

 

ヨガの教室っていっぱいあると思うのですが、全国のヨガの教室でやってないことを

これだったら、みなさんが注目するというのが大切です。

世の中には良いアイデアがゴロゴロしているけど

気が付いてない 場合と

気が付いいてもそれを事業化して行く人がいない

実際に積み上げていく人はいない

 

アンシー:最後に人を育てるのに一番大切な教えはなんですか?

 

重里先生: 「生きるを教え、自立人を育てる」

生きるには 食 がいる

そのためには 職 がいる

二つの ショク です。

私は食べることに困った それには 職 がいる

だから分析化学を徹底してやりなさい。

分析化学で 食べていけます。

なんでもそうでしょ!!

 

インタビューを終えて

重里先生にご依頼をしたとき

なんでも話しますよって 一言で受けていただいて

大きいというか、カッコいい!!

先生は おしむことなく(3時間も)

私の気持ちを読んで、わかりやすく話してくださいました。

教育とは、経営とは 自分らしく生きるとは

たくさんのことを学ばせていただきました

私には 雲の上の存在

けれど、少年のようになんでも興味を持っていらっしゃる

人間の魅力ってこうだよ!!って その姿で教えてくださいました。

その後、スタジオで私のストレッチも受けて下さったんです。

ありがとうございました。