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インドの哲学、宗教とヨガ 相愛大学 人文学部教授 釈徹宗先生 その1

ブログアンシー > 生き方 × 活き方 アンシーインタビュー

2015年02月28日

前回 ブログ活き方×生き方 インタビュー

「人生100年時代をどう生きるか?」でお話しいただいた

相愛大学 人文学部教授 釈徹宗先生は、

浄土真宗 如来寺の住職であり、

NPO法人リライフ代表として、認知症高齢者のためのグループ

ホーム『むつみ庵』、ケアプランセンターも運営されています。

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社会問題にも積極的に取り組まれている、

大変お忙しい先生ですが、

今回は無理なお願いをいたしました。

インド哲学、宗教とヨガ についてお話しいただきました。

 

 

 

アンシー:ヨガが発祥した古代インドの歴史の流れは簡単に並べると、

前2400年 インダス文明

前1500年 ヒンドゥー・バラモン教

ウパニシャッド哲学成立

前500年 仏教、ジャイナ教

後200年~400年 パタンジャリのヨガスートラ

このような歴史の流れにおけるヨガについてお話しいただけますか?

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釈先生:えーと、何からお話しして良いか、

今の人類学だとある時から、

われわれのエネルギーが独特な方向に進んでいて、

他の動物にあるような本能のリミッターが外れるようになっていて、

活発なエネルギーを持つようになるんですね。

トラとかライオンだとお腹がいっぱだと、

前に獲物があってもとらない。

交尾も繁殖期しかしない。

しかし、人間ってすごい過剰でお腹いっぱいでも食べたり、

性行為も子孫繁栄以外にコミュニケ―ションとしてもしたり、

常生じゃないくらい生殖可能期間も長いです。

この個体を維持するだけだと、こんなでっかい脳もいらなくて、

人間ってもともと、エネルギーが過剰な動物なんですね。

そこに人間ならではの喜びもあって、

過剰なエネルギーがあるからこそ表現力も生まれて、

科学が生まれて、宗教も生まれて、アートも生まれて、

しかし、そこに苦しみの根源もあります。

過剰だからこそ苦しみがある。

心理学者の岸田秀さんがいってたんですけど、

人間は本能が壊れた動物だって言ってるんですけど、

動物はある程度いくと本能のリミッターがかかるんです。

自然の大きなサイクルの中に動物は、みごとにそっているんです。

しかし、人間は過剰で、はみ出した部分があって、

人間だけが、この世界を破壊する可能性もっているでしょう?

人類自体を滅ぼすだけの可能性があるでしょう?

つまり喜びの根源であると同時に苦しみの根源である。

だから、その人間の過剰なエネルギーに苦しみの根源があるのは、

古代人もわかっていて、

これをどうコントロールするか向き合うかが、人類のテーマなんです。

それでヨーガが発生したとおもうのです。

ヨガスートラの最初の有名な「心の抑制が」ってあるでしょう?

 

アンシー:心の作用を死滅するのがヨガである。

 

釈先生:心ってすごく流動的に過剰に動いたりして、

時には科学にいったり、宗教にいったり、アートにいったり、

これをうまく整えて、生きるのが根源的な幸せの道って、

古代人はある程度知っていて、

呼吸をつかったり、

身体の動きをつかったりしながら、

うまく付き合っていく。

そういうのがずっとあったんだと思うんです。

この辺はヒンドゥー教にしても、仏教にしても、ジャイナ教にしても、

古代からずっと続いている道なんですよ。

ブッダも言っているんですよ。

自分はこの道を発見した分けではなくて、古道(こどう)だといってるんです。

ブッダも遥か古(いにしえ)の人たちも、この道を歩んできたことを知ってたんです。

その技術がある地域にアーリア人が侵入してきて、

持ち込んできたのがヴェーダの宗教という高い非常に思想性とすごい差別の構造をもったようなもの、

ブラフマナと言われるバラモン教が、だいたいできあがるのです。

ヒンドゥー教が形作られるのは遅くて4世紀くらいです。

アーリア人が持ち込んできた宗教と今のイランとヨーロッパの方に行く人とインドに分かれて、

インドあたりの土俗の宗教がまざりあってヒンドゥー教ができたのです。

 

アンシー:前回のお聞きした四住期のお話しはヒンドゥー教のお話しですよね。

 

釈先生:そうです。あれはヒンドゥー教ですね。ヴェーダの宗教で、

ヒンドゥー教の原型ですね。

ひとつはヴェーダの宗教は基本的に神を祀る宗教です。

儀式の書物ってあります。あるいは神をたたえる歌なんかもでてきます。

ヴェーナンダといわれるヴェーダの中の一番の哲学的なものがウパニシャッドの部分、

神と私のあり方とか、大きな輪廻とかそういう話が中心になって出てくる。

ウパニシャッドも初期のあたりは結構シンプルで、自然の循環みたいな話なんですね。

人間が死ぬと腐ったり、燃やされたりして地中へと拡散したりそれが雨となって降りてきて、

草が育って、動物の体内に入って、

そういう割とシンプルな話なんです。

どんどん輪廻の思想は複雑になってきます。

初期のウパニシャッドは、

アートマンとブラフマンがありますね。

一番の特徴は有(う)の哲学なんです。

有とか我とか訳すんですけどアートマンです。

有って書いて(う)とか(が)とか訳すんですけど

 

アンシー:(が)って、我執の我ですか?

 

釈先生:これは肉体がだめになっても別のものなっていく、

独特の存在論です。

有という 不滅の 我 アートマンがあって、

これがぐるぐると輪廻する。

基本的に輪廻とは苦しみなんで、こっから脱出しなきゃいけない。

神と一体になったら脱出できる。

そのころの中心的な神とはブラフマンですので、凡(ぼん)と訳されますね。

凡 が一体になれば輪廻から脱出できると考えたんですよ。

ぐるぐる輪廻する道と輪廻から脱出して。

神と一体化して脱出する道と二つ考えているんですね。

仏教では六道輪廻みたいになっていくんですけど。

初期のうちは、どちらかの道を選ぶんだということになります。

 

アンシー:ウパニシャッド哲学っていうじゃないですか?

宗教じゃないんですよね。

 

釈先生:それはですね。インドの宗教と哲学は区別ないんですよ。

 

アンシー:そうでんすか?日本人は分けますよね。

 

釈先生:いっしょのもんでして、何のために哲学するか?

宗教の信仰のために、もの考えているんですね。

信仰の道を歩むとういうことは哲学することでもあり。

哲学するっていうのは信仰の道を歩むためにある。

これは結構ヒンドゥー独特の事情でして、

哲学、思想と信仰、宗教とあんまり区別ないんです。

だから理屈ぽいのが哲学、儀式中心が宗教。

そんな風に分けたりもするんですけども。

ウパニシャッドは、やっぱり人類古代の哲学のギリシア哲学と並んで、

二本柱のひとつという感じです。

(続く)

 

アンシー:インタビューを終えて。

今回は古代のインド哲学、宗教についてのインタビューをお願いしましたが、

世界の宗教について勉強するのは、

今起こっている命にかかわるハードな宗教問題をみても、

私たち日本人にとって、必要な時期だと思います。

宗教学者 釈撤宗先生の素晴らしい知性の世界は、

魅力的なお人柄の中に、

しっかりと感じ取れる、人へのやさしさ、

うかんでくる言葉は 「慈悲」

釈先生と出会えて宇宙(神様)に感謝!!